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本日は8月15日。終戦記念日です。
日本人にとっては特別な日です。
80年前の今日、正午、ラジオ放送で
「堪え難きを耐え、忍び難きを忍び・・」昭和天皇のお言葉で4年に亘った戦争は終焉を迎えたわけです。
80年前の8月15日前後の情勢の動きをまとめてみました。
【終戦までの流れ】
1945年夏の時点で、日本は本土空襲や海上封鎖で国力が限界に達し、中国大陸・太平洋の戦線も崩壊寸前でした。政府は「本土決戦」を唱える一方、ポツダム宣言(7月26日)が出されてからは和平の道も模索していました。
(以下日付はいずれも1945年)
7月26日
米・英・中がポツダム宣言発表(日本に無条件降伏を要求)
→ ソ連はまだ中立条約を理由に表に出ず。
→ 日本政府は正式回答せず「黙殺(モスク)」方針。これを米側は「拒否」と受け止める。
8月6日
• 広島に原子爆弾投下(午前8時15分)
→ 市街地壊滅、死者約14万人(年末までの推計)。
→ 日本政府内でも衝撃が走るが、なお降伏決断には至らず。
8月9日
• 長崎に原子爆弾投下(午前11時2分)
→ 死者約7万4千人。
8月12日~13日
• 東京や各地で激しい空襲が続く。
8月14日
• 深夜の御前会議で再度、天皇が終戦を「聖断」。
• 正午過ぎ、降伏受諾を連合国へ正式通知。
• 同日未明、降伏阻止を狙う一部将校が宮城事件(クーデター未遂)を起こすが失敗。
8月15日
• 正午、昭和天皇が玉音放送(ラジオ)で国民に終戦を告げる。
→ 戦争は公式に終結に向かう。
【終戦後の流れ】
8月16日〜20日頃
• 停戦命令の徹底:大本営から全軍へ正式な停戦命令発令。
• しかし中国大陸・南方戦線では通信網破壊や現地判断で戦闘が続く場所も。
• ソ連軍は終戦後も樺太・千島・満州で攻勢を続け、日本軍捕虜を多数抑留。
8月19日
• 米軍の代表団(マッカーサー側)が日本側と進駐・占領計画の調整開始。
8月28日
• 連合国軍(アメリカ第11空挺師団)が相模湾から厚木飛行場へ進駐開始。
→ 占領の第一陣。
9月2日
• 東京湾・戦艦ミズーリ号上で 降伏文書調印式(日本全権:重光葵外相・梅津美治郎参謀総長)。
• これにより、戦争は国際的にも正式終結。
• 同日以降、全国・海外の日本軍が順次降伏・武装解除。
10月4日
• GHQ(連合国軍総司令部)が「政治的・公民的及び宗教的自由に関する指令」を発表。
→ 政治犯の釈放、特高警察の廃止。
10月11日
• マッカーサーが「五大改革指令」を日本政府に伝える。
1. 女性の解放(参政権など)
2. 労働組合の結成奨励
3. 教育制度改革
4. 経済機構の民主化(財閥解体)
5. 人権の尊重
以上のような流れであったそうです。
1941年12月8日、真珠湾攻撃で始まった第二次世界大戦。
300万人以上の日本人犠牲者を出した未曾有の大戦となりましたが、二度と同じ過ちを犯さないためにも、この戦争の惨事を伝えていかないといけないと感じています。
★丸商リフォーム工事紹介
今回は、岡崎在住の方の住宅
外壁サイディング張替え工事
玄関上庇
駐車場入り口部庇の造作工事
をご紹介します。
※駐車場は建物ビルトイン型
A工事(岡崎市) 外壁サイディング張替え工事他
(工事内容)
外壁サイディング張り工事
既設外壁解体・撤去 正面側1面
外壁下地モルタル撤去
外壁下地工事 構造用合板張り
サイディング張り Kmewネオロック親水16・コーナーは役物使用
玄関上庇取付工事
既設テラス屋根解体撤去
庇取付工事 アルフィンAD1・W2500・D1000材工共
駐車場入り口部庇造作工事 柱・屋根造作
【外壁サイディング張替え工事】
◆施工前
◆既設外壁解体撤去
◆外壁下地工事 構造用合板・防水シート
【駐車場入り口部庇造作工事】 柱・梁・庇造作
◆木工事
◆防水シート・板金張り
◆庇裏軒天張り工事
◆外壁サイディング張り工事 施工後
【玄関上庇取付工事】
◆下地防水シート
◆庇受け金具
◆玄関上庇取付け
※補足・名称整理
• 庇受け金具 → 玄関上庇を支えるL型またはU型の金具
• 庇裏軒天板 → ケイカル板等を貼る軒天仕上げ